Sep 09, 2021
日本の音楽は世界基準になれるのか
東京オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。
57年ぶりの自国開催ということもあり、注目されていた方も多いと思います。
オリンピックの開会式では、選手入場のBGMに日本のゲーム音楽が使用され、とても話題になりましたね!
ドラゴンクエスト「序曲:ロトのテーマ」や、テイルズ オブ シリーズの「スレイのテーマ ~導師~」など、
日本の素晴らしい音楽が、東京から世界中の人々に発信されていることを目の当たりにし、私自身、とても誇らしい気持ちになりました。
日本には世界に誇れるものが沢山あり、
和食 (食文化) や漫画・アニメーションなどは、誰もが認める日本の文化です。
その中でも今回は、日本が世界に誇る美しい言語。
"日本語"と"日本の音楽"の関係性に注目してみました。
日本のミュージシャンが発表する楽曲の歌詞は、基本的には日本語で構成されています。
日本語は日本人にとっての母国語なので、当たり前と言えば当たり前ですね。
日本の楽曲 (以下:邦楽) は、
「Aメロ+Bメロ+サビ」という3つのパートで一番が構成されています。
実はこの楽曲構成。
世界基準と比較すると、とても珍しい構成だということをご存じでしょうか!?
洋楽 (英語) の場合、
「Verse (ヴァース)+Chorus (コーラス)」という2つのパートで構成されています。
「Verse」が邦楽で言うところの "Aメロ+Bメロ" 部分に当たり、
「Chorus」が邦楽で言うところの "サビ" になります。
大きく異なるのは、サビにたどり着くまでのパートが、1つなのか、2つなのかという点です。
もちろん、邦楽にもBメロパートが存在しない楽曲もありますし、Chorus前が2部構成になっている洋楽もあります。ですが、それらは例外 (珍しいこと) として考えるのが通例です。(改めて双方の楽曲を聴いてみると、より違いがわかると思います。)
英語を音符に当てはめる際、短い単語であれば一音に収めることができ、少ない音符でもある程度の文章が作れます。逆に、日本語を音符に当てはめる場合は、一音につき一文字のみを割り当てることになるので、ある程度の音数が必要になります。
例:「愛してる」という文字を音符に当てはめる場合
日本語の場合 ⇒ "あ・い・し・て・る" (5音必要)
英語の場合 ⇒ "I・Love・You" (3音でOK)
夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したように、日本語には様々な表現方法があります。同じ言葉でも、アクセントの違いで全く異なる意味に変換される日本語は、世界一難解な言語と言っても過言ではありません。
日本語との相性が考慮された、邦楽の「Aメロ+Bメロ+サビ」という伝統的な楽曲構成は、日本語に特化した独自の構成とも言えます。
しかしながら、現在の日本の音楽シーンにおいては、世界のトレンド (サウンド重視の楽曲制作) を意識するかのように、曲先 (作詞より先に作曲を行う手法) による楽曲制作が主流になってきています。
東京オリンピックの開会式や表彰式で「君が代」が流れた時、
「日本語の響きは、聴いていて心地よく、そして美しい。」と改めて思いました。
最近は「詞先 (作曲より先に作詞を行う手法) による楽曲が昔よりもだいぶ減ってきているなぁ」と感じていたので、よけいにそう思えたのかもしれません。
楽曲の中の言葉 (詞) というものは、単なる言葉の寄せ集めではなく、色々な思いが込められている言葉だと思うのです。
完成品としては同じでも、思いから生み出される言葉にメロディー (音符) を乗せるのと、決められたメロディーに、言葉を当てはめながら文章を作るのとでは、微妙に質感が異なってくると個人的には思います。
これは、音楽業界に限ったことではありませんが、トレンドなモノを取り入れることは、決して悪いことではありません。ですが、必要以上にトレンドを意識しすぎると、自分らしさ (本来の良さ) を見失う恐れもあります。
このことは、
トレンドの移り変わりが最も激しい "洋服 (ファッション) の世界" で考えると、分かり易いです。
多くの人は「トレンド (流行) =最先端なモノ」と認識しているのではないでしょうか?
この認識は、明らかに間違っていると断言できます!
"流行っている" ということは、その時点で多くの人が取り入れているスタンダードな着こなしということになります。
これが、最先端な着こなしと言えるでしょうか!?
むしろ、終わりの一歩手前な着こなしと言えないでしょうか!?
そもそも、周りと同じ着こなしをしているのに、自分だけがお洒落な人だと認識されることはありません。
良くも悪くも注目されるということは、周りとは違う着こなしをしている (何かが違うから) からであり、その人自身が区別されることで生まれる現象です。
"お洒落な人" というのは、ある意味、とても "勇気のある人" だと表現できるかもしれませんね。
確かに、周りと同じでいることの方が楽ですし、何よりも安心です。
ですが、それは、自分で自分らしさを無くしてしまう行為でもあるのです。
邦楽には、日本語という世界に誇れるこれ以上ない美しい武器が存在するのに、世界のトレンドを意識しすぎて、サウンド重視な楽曲ばかりになってしまうのは "もったいないなぁ" と思ってしまうのは、私だけでしょうか!?
日本の音楽が世界基準となる時。
それは世界中の人々に、
日本語の素晴らしさと、
面白さが伝わった時なのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
57年ぶりの自国開催ということもあり、注目されていた方も多いと思います。
オリンピックの開会式では、選手入場のBGMに日本のゲーム音楽が使用され、とても話題になりましたね!
ドラゴンクエスト「序曲:ロトのテーマ」や、テイルズ オブ シリーズの「スレイのテーマ ~導師~」など、
日本の素晴らしい音楽が、東京から世界中の人々に発信されていることを目の当たりにし、私自身、とても誇らしい気持ちになりました。
日本には世界に誇れるものが沢山あり、
和食 (食文化) や漫画・アニメーションなどは、誰もが認める日本の文化です。
その中でも今回は、日本が世界に誇る美しい言語。
"日本語"と"日本の音楽"の関係性に注目してみました。
日本のミュージシャンが発表する楽曲の歌詞は、基本的には日本語で構成されています。
日本語は日本人にとっての母国語なので、当たり前と言えば当たり前ですね。
日本の楽曲 (以下:邦楽) は、
「Aメロ+Bメロ+サビ」という3つのパートで一番が構成されています。
実はこの楽曲構成。
世界基準と比較すると、とても珍しい構成だということをご存じでしょうか!?
洋楽 (英語) の場合、
「Verse (ヴァース)+Chorus (コーラス)」という2つのパートで構成されています。
「Verse」が邦楽で言うところの "Aメロ+Bメロ" 部分に当たり、
「Chorus」が邦楽で言うところの "サビ" になります。
大きく異なるのは、サビにたどり着くまでのパートが、1つなのか、2つなのかという点です。
もちろん、邦楽にもBメロパートが存在しない楽曲もありますし、Chorus前が2部構成になっている洋楽もあります。ですが、それらは例外 (珍しいこと) として考えるのが通例です。(改めて双方の楽曲を聴いてみると、より違いがわかると思います。)
英語を音符に当てはめる際、短い単語であれば一音に収めることができ、少ない音符でもある程度の文章が作れます。逆に、日本語を音符に当てはめる場合は、一音につき一文字のみを割り当てることになるので、ある程度の音数が必要になります。
例:「愛してる」という文字を音符に当てはめる場合
日本語の場合 ⇒ "あ・い・し・て・る" (5音必要)
英語の場合 ⇒ "I・Love・You" (3音でOK)
夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したように、日本語には様々な表現方法があります。同じ言葉でも、アクセントの違いで全く異なる意味に変換される日本語は、世界一難解な言語と言っても過言ではありません。
日本語との相性が考慮された、邦楽の「Aメロ+Bメロ+サビ」という伝統的な楽曲構成は、日本語に特化した独自の構成とも言えます。
しかしながら、現在の日本の音楽シーンにおいては、世界のトレンド (サウンド重視の楽曲制作) を意識するかのように、曲先 (作詞より先に作曲を行う手法) による楽曲制作が主流になってきています。
東京オリンピックの開会式や表彰式で「君が代」が流れた時、
「日本語の響きは、聴いていて心地よく、そして美しい。」と改めて思いました。
最近は「詞先 (作曲より先に作詞を行う手法) による楽曲が昔よりもだいぶ減ってきているなぁ」と感じていたので、よけいにそう思えたのかもしれません。
楽曲の中の言葉 (詞) というものは、単なる言葉の寄せ集めではなく、色々な思いが込められている言葉だと思うのです。
完成品としては同じでも、思いから生み出される言葉にメロディー (音符) を乗せるのと、決められたメロディーに、言葉を当てはめながら文章を作るのとでは、微妙に質感が異なってくると個人的には思います。
これは、音楽業界に限ったことではありませんが、トレンドなモノを取り入れることは、決して悪いことではありません。ですが、必要以上にトレンドを意識しすぎると、自分らしさ (本来の良さ) を見失う恐れもあります。
このことは、
トレンドの移り変わりが最も激しい "洋服 (ファッション) の世界" で考えると、分かり易いです。
多くの人は「トレンド (流行) =最先端なモノ」と認識しているのではないでしょうか?
この認識は、明らかに間違っていると断言できます!
"流行っている" ということは、その時点で多くの人が取り入れているスタンダードな着こなしということになります。
これが、最先端な着こなしと言えるでしょうか!?
むしろ、終わりの一歩手前な着こなしと言えないでしょうか!?
そもそも、周りと同じ着こなしをしているのに、自分だけがお洒落な人だと認識されることはありません。
良くも悪くも注目されるということは、周りとは違う着こなしをしている (何かが違うから) からであり、その人自身が区別されることで生まれる現象です。
"お洒落な人" というのは、ある意味、とても "勇気のある人" だと表現できるかもしれませんね。
確かに、周りと同じでいることの方が楽ですし、何よりも安心です。
ですが、それは、自分で自分らしさを無くしてしまう行為でもあるのです。
邦楽には、日本語という世界に誇れるこれ以上ない美しい武器が存在するのに、世界のトレンドを意識しすぎて、サウンド重視な楽曲ばかりになってしまうのは "もったいないなぁ" と思ってしまうのは、私だけでしょうか!?
日本の音楽が世界基準となる時。
それは世界中の人々に、
日本語の素晴らしさと、
面白さが伝わった時なのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。