Jan 19, 2023
伝説の編曲家 大村雅朗が残した美しい音楽
優しさと美しさが交差する音の世界
時に切なさをも滲ませる透明な音色
渡辺美里さんの「My Revolution」を初めて聴いたときの衝撃はすさまじく、
幼き日々の記憶の中でも、特に印象深い出来事として脳裏に刻まれています。
作曲を手掛けたのは、
後に日本の音楽界で一大ムーヴメントを起こすことになる小室哲哉さん。
転調を織り交ぜる独特の楽曲構成は、当時の邦楽では珍しく、
リスナーに驚きと新しい日本音楽の可能性を植え付けました。
当時の小室さんは、TM NETWORKのメンバーとしてメジャーデビューを果たしていましたが、
作曲者としては無名に近く、この楽曲のヒットによって業界内に広く知れ渡ることになります。
稀代のヒットメーカー小室哲哉の原点は、
この楽曲にあると言っても過言ではなく、小室プロデュース作品の先駆けとも言えるでしょう!
旋律の美しさは言うまでもありませんが、
この楽曲の一番の魅力(聴きどころ)は何と言っても、奏でられる音色の美しさに他なりません。
最初の一音を聴いただけで引き込まれる透明な音色。
曲終わりまで徹底して構築された美しい音の世界は、世代を超えて多くの人に愛されています。
そんな「My Revolution」の美しい世界観を創り上げたのは一体誰なのか!?
今回は、日本の音楽界に多大な影響を与えた伝説の作編曲家の足跡とともに、
編曲作業 (以下:アレンジ) の重要性についても考察していきたいと思います。
Chapter1:伝説のサウンド・クリエイター
1997年6月29日
類い稀な才能とセンスを兼ね備えた一人のミュージシャンがこの世を去りました。
後に、伝説として語り継がれることになる天才サウンド・クリエイター大村雅朗。
(裏方だったということもあり)
大村雅朗という名前こそ、一般的にはあまり知られてはいませんが、
日本の音楽を語る上で重要な音楽家であることは間違いありません。
46年という短すぎる生涯の中で手掛けた楽曲の数は優に1600曲以上。
レコーディング時のこだわりは尋常ではなく、
アーティストやスタジオ・ミュージシャンはもちろんのこと、
レコーディング・エンジニアからも信頼されていたそうです。
大村さんが生み出す音楽には独特のアリュールがあり、
リスナーだけでなく、プロのミュージシャンにもファンが沢山います。
あの小室哲哉さんからも、
"数少ない音楽の先生"と慕われていた大村さん。
ブレイクするきっかけとなった「My Revolution」は、
大村さんがアレンジを担当しました。(ある意味奇跡!)
J-POP史上最高とも言われる伝説のイントロパートは大村さんのアイデアによるものであり、
印象的なコーラス部分は渡辺美里さんがさり気なく口ずさんだものを組み合わせたとのこと。
加えて、小室さんが原曲で指定したサビ前(転調直前)のコード進行を変更し、
リスナーに楽曲の良さを伝わりやすくしたというエピソードも残っています。
2つの類い稀な才能が交差し、
そして誕生した「My Revolution」という奇跡。
音楽プロデューサーの走りとも言われる大村雅朗氏との出会いが無ければ、
天才音楽プロデューサー小室哲哉は生まれていなかったのかもしれません。
Chapter2:唯一無二の大村サウンド
品位という名のベールに包まれた美しい音色。
都会的で、洗練された洋楽のエッセンス(リズム)を織り交ぜながら、
常にボーカルを引き立たせるという邦楽的なアプローチも忘れない。
大村アレンジの魅力を語り出したら切りがありませんが、
特筆すべきものを挙げるならば「時代を読む感覚の鋭さ」ということに尽きると思います。
これは音楽に限ったことではありませんが、
大ヒットするものに共通して言えることは、時代の波に上手く乗れているということです。
例えば、今流行っているファッショントレンドも、
10年後には全く違うものになっているでしょうし、10年前では良さを感じることができなかったのではないでしょうか?
流行っているものが必ずしも良いものであるとは限りませんが、
評価基準としてマイナスな印象になることはあまりありません。
大村さんがアレンジを施した楽曲には、
いい意味でその時代の匂いを感じます。
ヴィンテージのようなが煌びやかさがあり、
「古臭い」というマイナスの印象ではなく、その「時代を感じさせる音」というプラスの印象を抱くことができるのです。
その時代の「今」を的確に表現しながら、
どの時代に聴いても決して色褪せることのない大村サウンド。
他の方のアレンジでは味わえない音楽が、確実に存在します。
Chapter3:アレンジの重要性
楽曲制作を手掛ける上で一番重要なのは、作詞か作曲のどちらかであり、
「アレンジなんて二の次だ!」と思っている人、意外に多いと思います。
確かに、それまでの経験や知識等があるとはいえ、
ゼロからモノを生み出すのは容易ではありません。
ですが、生み出された作品がどんなに優れたものであったとしても、
世の中の人々にその素晴らしさが伝わらなければ意味がありません。
作詞・作曲家が楽曲に込めた強い思いを、
音という名のフィルターを通して翻訳し、それをリスナーに届ける。
アレンジとは、アーティストとリスナーの間に架け橋を構築する作業であり、
ある意味、楽曲制作において一番重要な工程と言っても過言ではないのです。
Last Chapter:歴史に残る名曲の数々
福岡で生まれ育った大村さんは、
上京後の1978年(27歳)からプロの編曲家として本格的に活動を開始します。
ほどなくして、
アレンジを手掛けた八神純子さんの「みずいろの雨」が大ヒットを記録。
その後も、稀代のヒットメーカーとして沢山の楽曲を手掛けてきました。
中でも80年代の活躍は目覚ましいものがあり、
歌番組の花形でもあったアイドル歌手の楽曲も任されるようになります。
豊作と言われた女性アイドルの中でも抜群の人気を誇った松田聖子さんは、
同郷ということもあり、大村さんのことを実の兄のように慕っていました。
大村さんは聖子さんの楽曲を数多く手掛けており、
松田聖子ブランドを創造した最大の功労者と言っても過言ではありません。
(楽曲の世界観とともに)
聖子さんの年齢や時代に応じて変化するアレンジの幅の広さは流石の一言。
ファンから名曲との呼び声が高い「SWEET MEMORIES」も、
大村さんが作曲・アレンジの両方を担当。自身の代表曲としても有名です。
楽曲の世界観を大切にしながらも、
アーティストの雰囲気に合ったシンガーファーストなアレンジは天下一品。
吉川晃司さんのデビュー・シングル「モニカ」や中山美穂さんの「ツイてるねノッてるね」などのダンサブルなアレンジと、
海援隊の「人として(3年B組金八先生(第2シリーズ)の主題歌)」のアレンジが同じ人だと知った時は本当にビックリしました。
「もしも大村さんが生きていたら、令和の時代にどんな音楽を届けてくれるのか?」
叶わぬことと知りながら、ふとそう思ってしまうのは、
大村さんの音楽に唯一無二の魅力と説得力があるから。
私は、大村さんのいちファンとして、
これからも大村さんの音楽を聴き続けることでしょう。
他にもご紹介したい楽曲が山ほどあるのですが、流石に書ききれないので、
個人的にオススメ&厳選した大村作品を3曲ほどピックアップしてみました。
どの楽曲も秀逸なアレンジが施されていて、
大村さんの美しい世界観を感じることができる名曲ばかり。
気に入っていただければ幸いです。
注:ご紹介する楽曲の順番は、発売年の古い順になります。
#1:そして僕は途方に暮れる / 大澤誉志幸 <1984>
これ以上でもこれ以下でもない。まさに、完璧に計算し尽くされた引き算の美学。音楽配信サービスが当たり前となった今の時代においてもその輝きは失われることはなく、イントロや間奏に存在価値があることを存分に示してくれるでしょう。何年たっても色褪せることのない、日本の音楽史に残る名曲だと思います。(作詞を手掛けた) 銀色夏生さんの美しい世界観と大澤誉志幸さんの叙情的なメロディーのマリアージュを、最高のアレンジとともにお楽しみください。
#2:天使のウィンク / 松田聖子 <1985>
「天使のウィンク」というタイトルを思いついた尾崎亜美さん (作詞・作曲) も素晴らしいですが、それを音で表現しきってしまう大村さんのセンスに脱帽です!バラード調から一気にテンポが上がるAメロ部分までの流れや、洋楽よりのキャッチーなサウンドも相まって、(恋に悩む女性とそこに降り立つ天使が織りなす) 複雑な詞の世界観を違和感なく楽しめるよう工夫されています。アレンジによって楽曲のポテンシャルを開花させたお手本のような作品だと思います。
#3:Teenage Walk / 渡辺美里 <1986>
歴史的な名曲「My Revolution」の次にリリースされたシングルが本楽曲であり、作曲は引き続き小室哲哉さんが担当しています。等身大(当時20歳)の渡辺美里さんを表現した楽曲ということもあり、全体的にエッジの効いたアレンジ(ギターのリフやドラムスの音量など)になっていますが、大村さんらしい優しい音色を最初と最後に挿入することでバランスを取り、ティーンエイジャーの独特な世界観を見事に表現しています。リピート再生した際の転調のギミックが最高です。
上記の楽曲以外にも、大江千里さんの「Rain」や薬師丸ひろ子さんの「メイン・テーマ」等の有名曲から、
日本が誇るシティポップの最高峰アレンジとして個人的に大好きなfesta modeの「愛してるってば」など、魅力ある楽曲が沢山あります。
大村さんが残してくれた素晴らしい音楽を後世に伝えていくことは、
日本音楽の発展にも繋がり、大村さんに対する恩返しにもなります。
間違いなく心躍らせる音楽に出会えると思うので、
このジャーナルを読んで気になった方は色々検索してみてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
時に切なさをも滲ませる透明な音色
渡辺美里さんの「My Revolution」を初めて聴いたときの衝撃はすさまじく、
幼き日々の記憶の中でも、特に印象深い出来事として脳裏に刻まれています。
作曲を手掛けたのは、
後に日本の音楽界で一大ムーヴメントを起こすことになる小室哲哉さん。
転調を織り交ぜる独特の楽曲構成は、当時の邦楽では珍しく、
リスナーに驚きと新しい日本音楽の可能性を植え付けました。
当時の小室さんは、TM NETWORKのメンバーとしてメジャーデビューを果たしていましたが、
作曲者としては無名に近く、この楽曲のヒットによって業界内に広く知れ渡ることになります。
稀代のヒットメーカー小室哲哉の原点は、
この楽曲にあると言っても過言ではなく、小室プロデュース作品の先駆けとも言えるでしょう!
旋律の美しさは言うまでもありませんが、
この楽曲の一番の魅力(聴きどころ)は何と言っても、奏でられる音色の美しさに他なりません。
最初の一音を聴いただけで引き込まれる透明な音色。
曲終わりまで徹底して構築された美しい音の世界は、世代を超えて多くの人に愛されています。
そんな「My Revolution」の美しい世界観を創り上げたのは一体誰なのか!?
今回は、日本の音楽界に多大な影響を与えた伝説の作編曲家の足跡とともに、
編曲作業 (以下:アレンジ) の重要性についても考察していきたいと思います。
Chapter1:伝説のサウンド・クリエイター
1997年6月29日
類い稀な才能とセンスを兼ね備えた一人のミュージシャンがこの世を去りました。
後に、伝説として語り継がれることになる天才サウンド・クリエイター大村雅朗。
(裏方だったということもあり)
大村雅朗という名前こそ、一般的にはあまり知られてはいませんが、
日本の音楽を語る上で重要な音楽家であることは間違いありません。
46年という短すぎる生涯の中で手掛けた楽曲の数は優に1600曲以上。
レコーディング時のこだわりは尋常ではなく、
アーティストやスタジオ・ミュージシャンはもちろんのこと、
レコーディング・エンジニアからも信頼されていたそうです。
大村さんが生み出す音楽には独特のアリュールがあり、
リスナーだけでなく、プロのミュージシャンにもファンが沢山います。
あの小室哲哉さんからも、
"数少ない音楽の先生"と慕われていた大村さん。
ブレイクするきっかけとなった「My Revolution」は、
大村さんがアレンジを担当しました。(ある意味奇跡!)
J-POP史上最高とも言われる伝説のイントロパートは大村さんのアイデアによるものであり、
印象的なコーラス部分は渡辺美里さんがさり気なく口ずさんだものを組み合わせたとのこと。
加えて、小室さんが原曲で指定したサビ前(転調直前)のコード進行を変更し、
リスナーに楽曲の良さを伝わりやすくしたというエピソードも残っています。
2つの類い稀な才能が交差し、
そして誕生した「My Revolution」という奇跡。
音楽プロデューサーの走りとも言われる大村雅朗氏との出会いが無ければ、
天才音楽プロデューサー小室哲哉は生まれていなかったのかもしれません。
Chapter2:唯一無二の大村サウンド
品位という名のベールに包まれた美しい音色。
都会的で、洗練された洋楽のエッセンス(リズム)を織り交ぜながら、
常にボーカルを引き立たせるという邦楽的なアプローチも忘れない。
大村アレンジの魅力を語り出したら切りがありませんが、
特筆すべきものを挙げるならば「時代を読む感覚の鋭さ」ということに尽きると思います。
これは音楽に限ったことではありませんが、
大ヒットするものに共通して言えることは、時代の波に上手く乗れているということです。
例えば、今流行っているファッショントレンドも、
10年後には全く違うものになっているでしょうし、10年前では良さを感じることができなかったのではないでしょうか?
流行っているものが必ずしも良いものであるとは限りませんが、
評価基準としてマイナスな印象になることはあまりありません。
大村さんがアレンジを施した楽曲には、
いい意味でその時代の匂いを感じます。
ヴィンテージのようなが煌びやかさがあり、
「古臭い」というマイナスの印象ではなく、その「時代を感じさせる音」というプラスの印象を抱くことができるのです。
その時代の「今」を的確に表現しながら、
どの時代に聴いても決して色褪せることのない大村サウンド。
他の方のアレンジでは味わえない音楽が、確実に存在します。
Chapter3:アレンジの重要性
楽曲制作を手掛ける上で一番重要なのは、作詞か作曲のどちらかであり、
「アレンジなんて二の次だ!」と思っている人、意外に多いと思います。
確かに、それまでの経験や知識等があるとはいえ、
ゼロからモノを生み出すのは容易ではありません。
ですが、生み出された作品がどんなに優れたものであったとしても、
世の中の人々にその素晴らしさが伝わらなければ意味がありません。
作詞・作曲家が楽曲に込めた強い思いを、
音という名のフィルターを通して翻訳し、それをリスナーに届ける。
アレンジとは、アーティストとリスナーの間に架け橋を構築する作業であり、
ある意味、楽曲制作において一番重要な工程と言っても過言ではないのです。
Last Chapter:歴史に残る名曲の数々
福岡で生まれ育った大村さんは、
上京後の1978年(27歳)からプロの編曲家として本格的に活動を開始します。
ほどなくして、
アレンジを手掛けた八神純子さんの「みずいろの雨」が大ヒットを記録。
その後も、稀代のヒットメーカーとして沢山の楽曲を手掛けてきました。
中でも80年代の活躍は目覚ましいものがあり、
歌番組の花形でもあったアイドル歌手の楽曲も任されるようになります。
豊作と言われた女性アイドルの中でも抜群の人気を誇った松田聖子さんは、
同郷ということもあり、大村さんのことを実の兄のように慕っていました。
大村さんは聖子さんの楽曲を数多く手掛けており、
松田聖子ブランドを創造した最大の功労者と言っても過言ではありません。
(楽曲の世界観とともに)
聖子さんの年齢や時代に応じて変化するアレンジの幅の広さは流石の一言。
ファンから名曲との呼び声が高い「SWEET MEMORIES」も、
大村さんが作曲・アレンジの両方を担当。自身の代表曲としても有名です。
楽曲の世界観を大切にしながらも、
アーティストの雰囲気に合ったシンガーファーストなアレンジは天下一品。
吉川晃司さんのデビュー・シングル「モニカ」や中山美穂さんの「ツイてるねノッてるね」などのダンサブルなアレンジと、
海援隊の「人として(3年B組金八先生(第2シリーズ)の主題歌)」のアレンジが同じ人だと知った時は本当にビックリしました。
「もしも大村さんが生きていたら、令和の時代にどんな音楽を届けてくれるのか?」
叶わぬことと知りながら、ふとそう思ってしまうのは、
大村さんの音楽に唯一無二の魅力と説得力があるから。
私は、大村さんのいちファンとして、
これからも大村さんの音楽を聴き続けることでしょう。
他にもご紹介したい楽曲が山ほどあるのですが、流石に書ききれないので、
個人的にオススメ&厳選した大村作品を3曲ほどピックアップしてみました。
どの楽曲も秀逸なアレンジが施されていて、
大村さんの美しい世界観を感じることができる名曲ばかり。
気に入っていただければ幸いです。
注:ご紹介する楽曲の順番は、発売年の古い順になります。
#1:そして僕は途方に暮れる / 大澤誉志幸 <1984>
これ以上でもこれ以下でもない。まさに、完璧に計算し尽くされた引き算の美学。音楽配信サービスが当たり前となった今の時代においてもその輝きは失われることはなく、イントロや間奏に存在価値があることを存分に示してくれるでしょう。何年たっても色褪せることのない、日本の音楽史に残る名曲だと思います。(作詞を手掛けた) 銀色夏生さんの美しい世界観と大澤誉志幸さんの叙情的なメロディーのマリアージュを、最高のアレンジとともにお楽しみください。
#2:天使のウィンク / 松田聖子 <1985>
「天使のウィンク」というタイトルを思いついた尾崎亜美さん (作詞・作曲) も素晴らしいですが、それを音で表現しきってしまう大村さんのセンスに脱帽です!バラード調から一気にテンポが上がるAメロ部分までの流れや、洋楽よりのキャッチーなサウンドも相まって、(恋に悩む女性とそこに降り立つ天使が織りなす) 複雑な詞の世界観を違和感なく楽しめるよう工夫されています。アレンジによって楽曲のポテンシャルを開花させたお手本のような作品だと思います。
#3:Teenage Walk / 渡辺美里 <1986>
歴史的な名曲「My Revolution」の次にリリースされたシングルが本楽曲であり、作曲は引き続き小室哲哉さんが担当しています。等身大(当時20歳)の渡辺美里さんを表現した楽曲ということもあり、全体的にエッジの効いたアレンジ(ギターのリフやドラムスの音量など)になっていますが、大村さんらしい優しい音色を最初と最後に挿入することでバランスを取り、ティーンエイジャーの独特な世界観を見事に表現しています。リピート再生した際の転調のギミックが最高です。
上記の楽曲以外にも、大江千里さんの「Rain」や薬師丸ひろ子さんの「メイン・テーマ」等の有名曲から、
日本が誇るシティポップの最高峰アレンジとして個人的に大好きなfesta modeの「愛してるってば」など、魅力ある楽曲が沢山あります。
大村さんが残してくれた素晴らしい音楽を後世に伝えていくことは、
日本音楽の発展にも繋がり、大村さんに対する恩返しにもなります。
間違いなく心躍らせる音楽に出会えると思うので、
このジャーナルを読んで気になった方は色々検索してみてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。